ADVANCEMENT
功労者と振り返る「過去」
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功労者と振り返る「過去」
田中グループを支えた
功労者インタビュー
現場所長や工事部長常務取締役などを歴任し、勤続40年で2010年に退職。
インタビュー内容
▪️任された現場は
自分ごととしてやり抜く
私が田中建設に入社したのは、1970年。大阪万博が開催された年で、日本経済が急成長を続けていた時代でした。当時はまだプレハブ2階建ての社屋で、従業員は全部で20〜30人ほど。ちょうど私が入社した年に建設省(現在の国土交通省)の仕事を受注できるようになったのですが、県や市町村の仕事なんて誰もやったことがない。自分で必死に勉強しながら、隣の現場や大手の会社に行っては分からないことを教えてもらいました。
会社で働く一社員というよりも、「任せてもらった現場は自分ごととして必ず完成させる」という気概をみなさん持っていたと思います。
▪️金はまた稼げばいいが、信用は取り返せない
当時の田中達雄社長は、ひとことで言うと“男の色気”がある方。人を惹きつける魅力があって、自ら大きい仕事を取ってきたり、政治家の先生達とも対等に話したり。
私が28歳の時、担当していた河川改修工事の最中に大雨で堤防が崩れるという災害が起きました。会社が始まって以来最大の工事だったので、損害額の大きさと、あまりの出来事に茫然自失となってしまって。そんな時、達雄さんがおっしゃったんです。「金は失ってもまた稼げばいいが、信用だけは取り返せない。今回の損失は大きかったけれど、信用を取ってきてくれたからそれでいい」と。
近隣の家に濁水が流れ込んでその苦情対応などに追われながら、それでも工期内にしっかり完成させられたのは、達雄さんのこの言葉があったからです。信用されることの大切さを教えてもらいましたし、いまだに思い出します。
▪️地域貢献で存在感を高めて
田中グループは、地域とともに成長してきた会社です。
ですが退職して一住民の目線で見てみると、まだまだ地域での存在感が強いとは言えない。地元への恩返しのつもりで地域貢献に力を入れて、それを地域の方々にもっと知ってもらうことが大事だと思います。
(左)湯本聡さま
1972年に田中シビルテック株式会社の前身、田中建設株式会社に入社。現場勤務などを経て、2007年に田中シビルテック株式会社の代表取締役社長(現相談役)に就任。2023年8月で勤続52年。
(右)湯本佳代子さま
金融機関勤務、家族の介護などを経て2003年に田中ケアサービス株式会社に入社。よりあい処 いっぷく家での勤務を経て、多賀清流の里では施設長を務める。勤続20年で2023年4月に退職。
インタビュー内容
▪️ひとつとして同じ現場はない、常に勉強でした
【聡さま】
現役時代は、勉強の毎日でした。特によく覚えているのは、木之本大橋の上部工を手がけた時のこと。橋は橋台どうしの間が長いほど、横から見るとまん中がたわんで見えるんです。だから「上げ越し」といって、わざとまん中を少し高くする。その当時、私個人として、会社としても橋の工事は初めての経験です。誰にも聞けない上に、今のようにインターネットもない時代ですから本を買ってきて読みながら自分で考えるしかない。
コンクリートの重さや重力まで見越して、何センチ上げるか、計算式を書いて自分で計算をするのは本当に大変でした。工事の仕事は、ひとつとして同じ現場がありません。常に勉強し続けることが大切だと知りましたし、社員にも「ずっと勉強だ」と言い続けてきたのは、私自身のこういった経験があったからです。
▪️答えはいつも、介護される側が持っている
【佳代子さま】
介護の現場では、認知症の方ともたくさん関わってきました。入社してすぐの頃、デイサービスに来られた利用者さんに挨拶をしたとたん、頭からコップの水をかけられたことがあります。普通なら怒るところかもしれませんが、私はこの時「なぜ?」という疑問が一番にわいてきました。その時と同じ問いかけを、ずっと続けてきたように思います。
介護をする時は、相手の意図や考えを絶対に決めつけてはいけません。答えを持っているのは、介護されている本人だけ。私達がすべきなのは、その方の気持ちを想像して寄り添うことです。自分は健康体で思うままに動けるけれど、決してそれに奢ってはいけません。利用者さんは感覚で人を判断されるので、こちらの心の内がすぐに伝わってしまいます。大変なこともたくさんありましたが、仕事は楽しかったです。
嫌だと思ったことは一度もありません。
▪️世の中の動きに敏感に、新しいことに目を向けて
【聡さま】
私が現場にいた頃は、「コンクリートは100年もつ」と言われていました。それが今、コンクリートで当時造った橋やトンネルを補修しているのですから、全くの想定外です。
いつか車が地上を走らなくなれば、今やっている“道路を直す”という仕事も無くなるかもしれません。会社の将来を担うみなさんには、世の中の動きを敏感に読み取り、新しいことに目を向け続けてほしいです。
【佳代子さま】
田中グループは様々な事業を手掛けていますが、仕事の内容が違っても、共通するのは「信用」と「学び」を大切にしていることだと思います。
同じグループ内で、それぞれがお互いのことを“先生”だと思って研鑽を重ねてほしいと思います。
田中ホールディングス株式会社、専務取締役。1971年に田中シビルテック株式会社の前身、田中建設株式会社に入社。総務、現場、工務などを経験し、グループ再編や田中ホールディングス株式会社の設立にも携わる。
インタビュー内容
▪️“人を育てる”ことを真剣に考えている会社
私が入社したのは、田中建設ができてまだ10年目の頃。当時の社長、田中達雄さんと初めて会った日のことは鮮烈に覚えています。その頃、会社はまだ“昔ながらの建設業”という感じで、技術者もあまりいなかった。
そんな中、達雄さんは「会社からお金を出して学校に行ってもらい、10年計画で人を育てるんだ」と熱心に話してくださいました。まだ奨学金制度を導入している会社なんてない時代です。
当時の田舎の企業にしてはめずらしく、“人を育てる”ことについて真剣に考えておられたのがとても印象的でした。
▪️苦労した現場にグループ再編、全てに思い出がある
関わった全ての仕事に思い出がありますが、特に苦労したことほど記憶に残っているものです。現場にいた頃は24時間勤務もザラで、事務所の机で寝ることもありました。
それでも工事が終わって検査官に「終わりました、お疲れ様でした」と言われた時は、いつも達成感があったし嬉しかったですね。今でも担当した現場を通ると、当時のことを思い出します。
内勤に移ってからは、2004年からのグループ再編に携わりました。当時の田中正孝会長から指示を受けながら、子会社の合併や分割、ホールディングスの設立などを10年ほどかけて進めていきました。当時この辺りで、持ち株会社を作ってホールディングス化している会社なんてほぼありません。
誰も経験したことがない上に分からないことを聞く人もおらず大変でしたが、その苦労のおかげで今の形があると思うと感慨深いです。
▪️恐れずにチャレンジしてほしい
私自身、どちらかというと考え過ぎるタイプですが、そんな中でもチャレンジを続けてきたから今があると思っています。我々の世代は自分達の思いで会社を作ってきたので、次の世代にも、思っていることをはっきり口に出して可能性を広げ、恐れずにどんどんチャレンジしてほしいと思います。
先のことは誰にも分かりません。だからこそ、「失敗するかも」よりも「成功させよう」と考えて、一人ひとりが挑戦を続けていってください。